あれから
花の好きな母は
何年も前のカレンダーの
自分のお気に入りの月を
部屋中に貼っていた
母にとっては時間は自由な
海のようだった
ホームに入る直前の母は
よく幻を見た
隣りの部屋に父がいて
窓から見える向かいのマンションに
「姉さん一家」が来ていて
テレビから親戚が
出てきてこの部屋に来たと
言っていた
母の生まれた村は
美しい海が近く
半農半漁
私が子供の頃は
叔父たちは一年の数ヶ月
遠洋にマグロを獲りに出ていた
干したワカメやじゃがいも
米、サンマ、時にはアワビ
母の兄弟たちが送ってくれた
父母の元気な頃はよく届いたものを
もらいに来たものだ
96で亡くなった曾祖母はいつも孫たちに
津波の怖さをよく聞かせていたという
母は私が生まれて1年で
父の生まれた東京に来た
結局、都会には慣れずに
いつも故郷のことを話していた
南三陸町 母の故郷
母の生家は9年前に流された
震災の一週間前
父の葬儀に駆けつけてくれた
母の兄弟や甥やその家族たちは
久々に親戚一同で旅行が出来たと
明るく父を送ってくれた
父の一家が戦後
石巻に移って父母は出会った
東京生まれのインテリを
みんなで慕ってくれていた
震災後
皆の安否もわからないあの不安な日々
何軒か家を無くしたが
幸い全員の生存は確認出来た
それは奇跡に近いと思う
母はいなくなった父と
自分の故郷で起きている大災害から
だんだん意識が離れていった
大量の弁当を買い込み
開けた冷蔵庫が真っ暗だった日々を思い出す
母はすべて知らないまま
自分の子供の頃の世界で生きている
生活を立て直すのに大変な苦労をしていた
親戚たちを満足に手伝うことも
出来なかったのに
今は高齢な母の姉まで
認知症の母を気遣ってくれている
本当にありがたいことだ
父は何故かいつもどこかでもらった
おまけのカップ
母は決まってラブリーな花柄
大好きなコーヒーを
この部屋で飲んでいた
9年前まで
そして
生誕の地の復興を
心から祈る