shizukanakurashiのブログ

人生の砂時計 のこりの一粒まで自分らしく生き生きと

いつのまにか敬老の日も動かされていた。

自分が突入しているから

偏った見方をしているかもしれないが

         

 首都圏という町の年寄りは元気がない


 老人会に参加しないお年寄りも多い

 お茶のみに集まるゆうゆう仲間づくりも

 なかなか難しい


 自分の住むマンションの共有地でさえ

  親切心から草取りをしようとすると

    よけいなことと言われ

    公園でボウっーとしてると

     怪訝な目で見られる。


    なんとなく行き場がないのだ

 


  若い人には負けませんと

  きっちり美しく若作りして

  頑張って身繕いしてお金持ってマスよ

  と装飾できる老人と


 もういいや、とひっそり

 ディスカウントショップに通う老人


   ざっくりと2派に分かれて

   多分私は後者に属する



  町のネズミ田舎のネズミという

    絵本のタイトルを思い出す



  山や川や畑や海が近いお年寄りは

  少なくとも散歩と作業の場がある

  そう見えて羨ましい




外から見た感じでは


 関西圏はご年配がハツラツとしている。

 ふつうにたのしんでおられる、


 トレッキングに集合するフル装備の集まり

 でっかいカメラ📷を首から下げで

   ワラワラと集まってくる老人集団


 全然音量気にしていないような

       おしゃべりの元気集団

 公園でいきなり変な動きをするお爺さん



 京阪電車では、乗り込んで来た袈裟姿の若い坊さんを見るや大声でいきなり自論の説法を始めたお爺さん

自分の降りる駅で何事もなかったようにさっさと降りていった。

爺さん婆さん達にもココロザシが感じられる。


どうでもいいようなオモロイ話でミックスジュースを前に何時間もいる。


朝行くと、常連さんの席があり

  新聞まる読みできるコーヒー屋さん。


そんな居場所がある。 

 まだ日本も捨てたもんじゃないと

         思い返して帰ってくる。




首都圏で高齢者が賃貸を探すのも大変だ。

 一人で部屋を借りようとすれば、

 無きに等しい。


 叔母は結局、

 持病の心臓の発作で孤独死した。

 まだ、少なくとも10年前くらいまでは

 東京の下町にも困っている人にこそ

 という心意気ある女将的な大家さんがいて

 部屋も良心的な家賃で部屋を貸してくれたし

 日常の暮らしをなんとなく見ていてくれた。


 異変に気付いて救急車の手配から

 面倒を見ていた父に知らせてくれたのも

 大家さんだった。


思えば、私も孤独死予備軍なのだ、


自分のマンションだからと言っても安心ではない、老人の一人暮らしとなれば良いも悪いも支障が出てくる。


高いところの電球替えだってままならない。


若い時に頑張って瀟洒な終の住み家を手入れた

元祖キャリアウーマンという先輩は、

三か月毎に転院を繰り返しながら

この一年を過ごしている。唯一頼れる姪御さんは、老人向けの施設に引っ越す事を勧めたが

猛反対

『私が働いて手に入れたものを

  あなたは何だと思っているの!』

絶交宣言してやったと私に知らせて来た。


50代の姪御さんは自分も病気を抱え、まだ子供たちも学生、自分の90になる老母とご主人の親のことで疲労困憊。

とてととても叔母さんのことまで‥

 姪御さんの気持ちは痛いほどわかる。


 



子供たちに義務教育があるように

80になったら希望すればタダで

入れてくれる年寄り村ができないかな


面倒な持ち物やお金は

全部精算して寄付して


家財と

残して迷惑と思われるものは

自分の意思で

すべて外の世界で処分


身一つで入れるところ

これこそ断捨離だ


自給自足で野菜作ったり

みんなで仲良く手芸したり

図書室で本読んだり


先立つ仲間がいたら

    みんなで弔ったり


いじめも 詐欺も ケンカもない村


民間の儲けのための高級老人ホームではなく

望めば誰でもにこにこ入れる


町が丸ごと『たのしい老人の村』みたいな

 

  (どうぶつの森のリアル版)


そうすれば80まではなんとか頑張って

 そのあとも安心して生きられるのに



 そんな発想の首相は‥でないか😓